神戸の歴史

神戸の歴史を紐解くにあたって鍵になるのが淡路島です。
淡路島は「阿波路島」と書けるように江戸時代は徳島藩でした。
徳島藩主 → 蜂須賀家(旧幕府側)
・淡路藩主 → 稲田家(新政府側)
で長年、稲田家は蜂須賀家に対して従属的な立場に甘んじていました。
そして幕末になると稲田家は旧新政府側について対立するようになり、1870年に徳島藩の家臣たちが稲田家を洲本城にて襲った庚午(こうご)事変という事件が起きます。
また初代の兵庫県知事は長州藩伊藤博文です。
神戸は港湾施設を抱えている貿易及び安全保障上の要なので新政府は押さえておく必要がありました。
神戸は東京に対して臆することなく意見を言う土壌がありますが、このような歴史的背景があるからかもしれません。ちなみに例の組織の1代目は淡路島出身で神戸に出てきて港湾関係の仕事をしていました。一定の力を持てたのは明治維新時点では神戸は混沌としていて治安維持の役割も負っていたからかもしれません。そのお陰で反社会的勢力になった後も3代目までは市民との距離も近く震災の時は炊き出しも行っていました。
あと神戸市の山の方に神出町という畑が広がっている土地があるのですが、この地方の灌漑等の開発は中国との貿易で財産を築いた華僑が開発を行ったと本で読んだことがあります。
この内容はあくまでも仮説で正しいかどうか分かりません。